その知識本当に正しいですかを読んで。自分の力で生きてますか?

最近ツイッターが面白い。
ローマにいると、日本語でそこまでいろいろな人の意見を聞いたりしないので、色々な人がいろいろなことを考えているのを読むのは楽しい。要は日本語での議論に飢えてるのかな。
私も時々思ったことをつぶやいたりするけれど、別にフォロワーとか全然いないので、掘った穴に叫ぶようなものです。
飲んだ席で話してもみんな聞いてないことが多いし、(忘れちゃうし)ツイッターでつぶやいても飲み屋でつぶやいても同じかなといったノリです。

Instagramもやっているけど、こちらはいまだに面白さがよくわかりません。
あんまりコメントとかみんなしないのようなので、それはそれで気楽に投稿できます。
若い人たちはこっちが主流のようですね。感覚的に楽しめるのかな。わーかわいーきれーみたいに。

私は、確実に感覚が衰えつつあるおばさんなので、正直ツイッターのほうが楽しめます。
本当はブログのほうが好きです。 くどくど書いてあるほうがその人が何を考えているか何を言いたいのかもっとわかるから。自分もくどくど書いて頭の中の整理もできたりと。
さすがに100文字くらいだと言いたいことをいかに凝縮するかが焦点になるので、伝わりにくいこともあるし、切り取りで発言の一部が注目されたり 、一言の面白さに重きがおかれたり。
大きなお世話ですが、みんな、こういう短文を読むのが癖になって、長い文章からどういうことを言わんとしてるのかを理解する力が落ちてくるんじゃないかという心配もあります。という話を前にしたら、飲んでる席だったので誰の心配してるんじゃと突っ込まれて、あれほんとだね。なんて笑い話に。
でも、唯一心配なのはメディアとか皆読んでくれないから、刺激的なニュースとかぱっと見話題になりそうな記事ばかり増えて、読んで考える記事みたいのが減るんじゃないかー、そうするとオオカミが来たじゃないけどそういうニュースにみんな右往左往される時代が来るんじゃないか(もう来てるけど)とか、将来に若干不安が...
余計なお世話なのかなこれも...

でもSNSは拡散という方法としてはすごくいいツールですね。
今まで、私のような普通の人が、このブログに書いてもせいぜい見る人は10人弱のところ、SNSで上手に拡散すれば何万人という人が目にしてくれる。私は出来ないけど…

告発とか〇〇運動とかあっという間に広がりますね。のは最近の#me too なんかすごい勢い。
今までモデルとか、芸能人とかへのセクハラって、自分を売りこみたいからお前が納得してやったんだろ的に世間的にもみんな知ってても誰もおかしいと思わないかったことがこういう運動にするとやっぱそれおかしいよみたいにぱーっと広がる。

ただしこれは、そういうのがなくなるのかというかというと、モテる髪型特集の雑誌が飛ぶように売れて、男はおごって当たりまえ、収入のいい旦那を見つけることが目標です!と豪語する女性が世の中に存在する限りなかなか難しい課題ですね~。 
でもいわゆるセクハラ、パワハラとか強姦とかに及ぶっていうのは、幼い時からの教育がかなり影響されるようで、男子は偉いんだと教育を受けて育つ人そういう行動に出る傾向があるらしい。痴漢するひとも男尊女卑の信念がかなり影響されてるとか。最近の若者は男女等しく教育が盛んだからそのうちこういうセクハラおじさんみたいのはなくなっていくのかな。

セクハラ、パワハラおじさんといえば、ツイッターで先日写真家アラーキーのモデルの人の告発文を読んで、とっても考えるものがありました。
芸術分野におけるモデルのモノ使いが議論されて許せんみたいなコメントが沢山見られたけど、あれはどうなんだろう。
私は、えーアラーキーってそんな人だったの信じられなーいみたいには全く思わず、むしろまさにこういう人なんだろうなと確信を得た感じだったけれど。
彼の作品を見れば一目というか、彼の写真には彼しか写っていない。そこに被写体の感情は一切感じられない。
前に花をとった写真をみたけど、なんでこの人の撮る花はこんなにも鮮やかでエロイんだろうとぼんやり考えてしまった。それは彼が、ためてためて、パーッと美しさを開放するエゴとエロの魅力を(むしろそれを取る自分の魅力を)とってる感じがしました。
こういう被写体にとことん感情移入せずに、自分の撮りたいものだけを抽出する力、ある意味、被写体をモノと思えないとこういう作品はできないかも。 そこまで非情にみんななれないから、彼の写真に魅了される普通の人は多いのかもしれない。 だからと言ってアラーキーのやったことを擁護してるわけでないけど、こういう人は一定の割合で存在して、それを支える人も一定数存在して、彼を支えることによって自分の価値観を見出しているというのも事実。

こういう人は、太陽みたいに輝いてて、周りの人をガンガン照らす。照らされてるとまぶしくていろいろなものがよく見えない、温かいから寒いところに戻れなくなる、でも日が当たりすぎて火傷したり自分が燃やされそうで苦しい。でも彼はそんなことまったく気にせず、自分が太陽でいられるよう燃やす燃料となるものはどんどん燃やしてく。 彼が太陽として燃えレバー燃えるほどことで周りの人は益々眩しくて何も見えない 、温かいところから寒いところに行くのが怖い、やっぱり彼の燃料でいることから抜けられない。
たぶん彼の周りにいる人のほとんどはそういう人なんだろうな。
彼女も文章に書いているように、15年間のモデル生活でモデルとして成長できたものは何もなかったと。焼け焦げてボロボロな様子が感じられる。
もっと早く太陽から抜け出して、自分自身を照らすモデルとしての道を歩んでいたらこんなにボロボロにならなかっただろうにと残念に思う。それができないくらい太陽の力が強いというのも理解できる。

太陽に当たらなくても自分で自分を照らす人生を歩まなくては。これを読んで、自分は、誰かの恩恵を期待してない?自分の足で自分の人生歩んでますか?と問い詰められ感じがしたので 時々読み直し用に書きました。
写真は本文と全く関係ないですが、先日我が家から見えた虹。

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